だらだらと受けていた一つの講座が終了しました。
いろんな洞察がありました。
その一つは、信じるということでした。
これは、私の中で、前からテーマになっていました。
これが私の中では”答え”であって、もうすでにここにあったのに
どうやら、探していた。という感じです。
ここに”答え”はあるのに、なぜ見えないのでしょうね。
それが、人間の面白いところです。
”灯台もと暗し”ということです。
あるいは、自分の持っているものの良さをわかるには、何かと比べてみなくてはわからない。
違うものの価値も知ってこそ、初めて、自分の持っているものの価値がわかるということです。
”信じる”という力は強大です。
おそらく、それに勝るものはないのではないでしょうか。
何かをするとき、その源となる力はそれを行う自分を信じるということです。
その力が少なければ、成功しなかったり、長続きしません。
ヒーリングも実は”信じる”という”思い”だけで成り立っていると思います。
たとえば”レイキ”を使おうとも、”クリスタル”を使おうとも、”八百万の神”にお願いしようとも、それは、使う人がそれらの力を”信じているか”によるものが大きいでしょう。
つまり、”信じる”という”思い””思考”が大切で、また、それがすべての未来を作り出しているということだと思います。
さて、私は数年前に、”暢子”と改名しました。
字画というのも、統計学ですから、ある意味大切です。
一つの字が持っているエネルギーというものはありますし、
それがまた、名前となると、そこにその人固有のエネルギーが発生してきます。
苗字には、その家の家柄、家風といった波動があるし、名前には、その人のエネルギーが。
苗字は生まれる前からその家は存在するのだから、以前からあるわけですが、
名前というのは、その人が生まれたときから、その人につけられる、つまりその人のためにあるのだから、名前が作り出すエネルギーと、その人自身が持っているエネルギーとが混合しているのかなと思います。
しかし、名前は自分で作るものではなく、親や親戚など、自分以外の人物がつけてくれます。
だから、この子にこうあって欲しいと他人が思うエネルギーが乗っかるのです。
これは、微妙なことですね。。。
さて、私の場合、本名は”信子”です。
母親は”伸子”とつけたかったらしいです。
しかし、誰か親戚が”信子”にしろということで、そうなったのです。
画数がよくないからとは、占い師の人に言われたことがありましたが、
数年前、私も変えようと決心したのは、この”信子”では、どうも普通のなかに埋もれ、
うだつが上がらないような気がしたからです。
”信”という字の”言”というところが、鍋蓋で押さえられ、伸びたくても伸びることができないという気がしたのです。
そう思うと、母は”伸子”とつけたかったというのがよくわかります。
しかし、できなかった。
その時点でもう上から押さえつけられていたわけです。
ある人に改名を頼んで、その名前を頂いたとき、”暢子”という字体にとても満足しました。
なんだか、流れるような、揚々とした感じがよかったのです。
解放されたような、自由を感じました。
とっても気に入ってますが、本当の”信子”ももちろん忘れることができません。
むしろ、これには、私の課題がのっていると感じていたので、これも大切だと”暢子”を使いだしてから、改めて思い出しました。
これには、”どんなに誰かが私を押さえつけても、味方も少なく、たった一人でも、己を信じて進みなさい”という意味があるのではないかなと思ったのです。
”人を信じるのではなく、自分を信じる”ということがもっとも大切なこと。
自分を信じれば、答えはかならず、自分の内側から湧き出てくる。
そして、それが真実となる。
そう思います。
そして、そう思うことが足りなかったと思います。
昨日は、”マトリックス”をテレビでやっていましたが、
”信じる”という言葉をあの映画の中で何度聞いたことでしょう。
”信じる”ということがキーワードであり、テーマである映画でしたね。
あの映画はとても哲学的で、スピリチュアルな映画で、深い意味が含まれいます。
すごいシンクロを感じ、そして、今日もあるテレビドラマで”信じる”という言葉を
何度も聞きました。
これもまた、”キーワード”でした。
こんなにシンクロしてしまっては、”信じる”しかありませんね。。。。