京都大学へ乗り込んで、有名な教授たちを相手に、「独創力」をテーマに、
独創力とはどこから生まれるのか?
真の独創力とは何か?
それは勉強することで身につけられるのか?
と熱く論争を展開していきます。
面白かった!
どんな有名な研究者も結局、同じこと考えていたんだ、
人は結局それを知るために、いや、知るためというのが目的ではなくても、
必ずやそれを知るし、知ることを自覚しなくても、そこへたどり着くまでの
プロセスが、そのプロセスだけが大切で、意味のあることだと
あらためて思いました。
そして、そのプロセスがなければ、結果を味わうことはできないと、
再確認できました。
創造力、その力は人の内なるところから出てくるわけです。
その内なるところは、自分本人しか入ること、知ることができないところです。
でも、その内なるところへは、そう簡単にはたどり着けない。
もし簡単にたどり着いたならば、それの本当の価値をわかることはできない。
学問を通して、創造力を発揮する道を歩む人のまさに代表が
番組に出演した教授たちでしょう。
ある教授は、千利休の茶の湯の心得”守破離”例に、言いました。
つまり”守”は勉強することで、それを知らなければ、”破”そこから
離れることはできない。
そして、離れることができれば、”離”何にもとらわれない境地へ行くということ。
つまり、創造力とは、オリジナリティーですから
何にもとらわれないという境地へ行かなくては行けないわけです。
そのために、勉強し尽くせば、そこを突破できて、創造力の世界へといけるという
ことでしょうね。
どんな世界もそうだと思います。
何かを学んだり、修行を積んだりすることで、もしつき進み続ければ
そこまでゆけるのだと思います。
そこまで行くには、没頭しなくてはいけません。
没頭するためには、没頭できるだけ”好き”なものと出会わなければなりません。
教授たちは、没頭できる”好き”なことに出会い、突き進んでいるのです。
さて、私もしがない私大へ行きましたが、没頭していたのはアルバイトでした。(笑)
(ですが、没頭したアルバイトのおかげで、そのような職種の仕事に就きました)
大学では没頭できるようなものには出会わなかったですが、
スピリチュアルなことには没頭できました。
これが”創造力”の世界へ導いてくれました。
千利休の例を話した教授は、
自分たち教授が、創造力を発揮していれば、それを学生に見せていれば
創造力を発揮できるようになる学生が生まれるといいました。
つまり、ある意味、学生はほっておいたほうがいいと。。。
こういうことを論争しているということが、まさにこの時間が大事であるとも。
私もまったくの同感です。
精神世界的に言えば、これは”今を生きている”ということになるでしょう。
それが、すべてです。
”守破離”もしかり。。。
研究をしているのか、仕事をしているのか、瞑想しているのか、
何をしているのかは関係ないです。
どうやっているのかが大切です。
好きなことに没頭し、イキイキとしている人たちのいるところで、
そのような人たちに会うことができる学生たちはチャンスがあります。
自分達の中にも彼らのもっているそのイキイキとした何かを見つけることが
できるかもしれないからです。
そういう意味では、勉強してそんな人がいる大学へ行くのは多いに意味があると
思いました。
高校までは、詰め込みのようなものですよね。
まさに、知識を学ぶことがメインです。
せいぜい、その中で、自分が学んだことにたいして、どう思えるか、感じられるか、
ぐらいで、表現の場はあまりありません。
ですが、大学はさらに深い知識も学びますが、あとは、これまでの知識を生かして
何か自分から生み出すところで、まさに創造性を発揮し始める場所かもしれません。
もちろん、大学がすべてではないですよ。
どこででも、同じことができます。
家庭でも、職場でも、趣味の中でも。。。
創造力を発揮するコツは、経済的なこと、損得勘定を入れないことです。
楽しんで、できればOKです。
私は、人間に与えられた宝物の一つが創造力だと思います。
これを発揮することが、人間の一番の幸せであると思います。
さて、私もしばらく、谷の中にいたようですが、
谷の中でまた、大いなる発見をしました。
私も創造力を最大限に発揮できるように、もっともっと好きなことに没頭して、
楽しみたいと思います!!